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『聴かれた女』しまおまほvs蒼井そら ウィークエンド・トークショー
2/17(土)、明治学院大学教授・四方田犬彦さんをお迎えしてウィークエンド・トークショーを開催致しました。山本政志監督の初期作品から『聴かれた女』までを、独自の解釈で語って頂きました。(以下、四方田犬彦さん=四方田、山本政志監督=山本と記載させて頂きます)


四方田:
7、8年前、私は山本政志の全作品を観て、『アホのアジール』という論文を書いたんですが、こともあろうにそれが、岩波の『世界』という雑誌に載りまして。
山本: ぴったりですね。
―会場、笑―
四方田: その時期、集中して山本作品を観たんですが、山本政志の映画というのは、人間がある場所に“住む”ということに、非常にこだわっている。“住む”というテーマは、まずはどこに住むかというのが2通りある。1つは森の中に住む。俗世界を離れた自然にひとりで住んでいる内に、精神変容していくタイプ。もう1つは、普通の人々が住んでいる何の変哲もない商店街のアパートに移り住んで来て、そこから事件が起こるタイプ。この2つに分かれているんだけれど、彼の映画を観ていると、この2つが、実は同じことだというのがわかる。
彼が脚光を浴びた『闇のカーニバル』という作品があるけれど、これは、都心のど真ん中にある巨大な公園の話なんです。夜の公園に、ひとりの女性がいて、ある任務の元にやって来る。彼女はコートを着てサングラスをかけている。つまり、夜だけれど、視界をシャットアウトして見えないという状態において、彷徨うわけです。そして、おかしな登場人物たちに出会う。この物語は、『不思議の国のアリス』ではないかと思いました。最後には、ひとりの人間が死んで、葬式のような儀礼が行われる。死に向かう衝動が非常に体現されている。この作品は、森の中で死と生がすれすれのところで彷徨っている人間の話だった。
それとは全く違うフィルムが『ロビンソンの庭』。普通の町の住宅地に住みだした女性が、あるとき、神隠しにあったようにエアポケットのような世界に入ってしまう。そこは、永遠に田園が続いていて、彼女は自分で菜園を作って、陸地のロビンソンクルーソーのような感じで、ひとりで自然の中に一体化していく。最後に暗い洞窟の中に入り込んで、そこで、生きているとも死んでいるともわからないような眠りの状態に入ってしまう。今で言う引きこもりなわけです。非常に長い歳月が過ぎて、生とも死ともわからないような超越した存在になってしまう。この作品は、昼なんです。緑の陽光があって、大地があって、その大地の中に包まれていく。ある意味、これもお葬式の映画ですね。
『JUNK FOOD』では、横浜の港湾で死体の灰を捨てるというシーンがあります。葬礼の儀、埋葬、つまり死というテーマを非常に強く抱いているのだと思いました。
一方で、ひとりで都会の中を放浪していくというテーマがある。『JUNK FOOD』、『リムジンドライブ』だとかがそうです。『リムジンドライブ』は、ニューヨークでひとりの日本人の女の子がお金だけはあるから、リムジンを借りてしまうという、非常に面白い移動の映画です。
森の中で心が休まるというのと、ニューヨークの大都会を移動していくという、2つの傾向がある。この2つを繋ぐものは何か。ヨーロッパの中世の歴史学でアジールという言葉があります。簡単に言うと、避難所です。駆け込み寺とかそういう場所です。何かいけないことをやって、ある場所にいられなくなった人間が、ここに逃げ込めば絶対に大丈夫という場所。どんな人が来てもかくまってくれる、秘密めいた空間をアジールと言います。山本政志の映画で、ずっと貫いているもの。それは、このアジールなんじゃないかと。例えば、ニューヨークの、言葉も通じない、周りがみんな敵かもしれない場所においての、リムジンという アジール。あるいは、熊楠にとっては、森の中という巨大な場所がアジールと言えるのではないかと。
彼の作品はバラエティがあるんですが、アジールという言葉をキーワードにすると、統合的な一貫性を見出せる。それで、『アホのアジール』という題名で論文を書いたんです。
今回の『聴かれた女』では、ひとりの孤独な、まじめなんだけれど、おっちょこちょいな男が、都会の中で、いかにアジールを見つけるか、同時に、女の子もいかにアジールを見つけるかと、そういう映画ではないかと思いました。
今まで、いろいろなものを撮ってきて、ある時期ブランクがあって、そういった中で、この『聴かれた女』はどういったことを考えて撮ろうとしたんですか?
山本:
映画はどうしても、数年単位の時間が掛かってしまう。アメリカから帰ってきて、熊楠をまたやろうと思ったけれど、なかなか進まなくて。そういうことをやっていると、やっぱり何か撮らなくちゃと思うんだけど、フィルムはやりたくない。フィルムは時間を掛けてやるのが、自分のペースには合ってるし。そういうときに、デジタルというものがあって、これなら今までとは全然違うことが出来ると思った。いろいろ言う人もいるだろうけど、自分としては、リムジン以降、娯楽映画の語り口に興味があって、経済的に厳しい中で、何が出来るのかというのもやってみたかった。そういうことが、デジタルだとすぐにできるから。
四方田: それはゴダールも言ってますね。デジタルだからこんなに安く出来てよかったと。
山本: 本当にそうですよ。映像っていう共通性はあるけれども、映画とは別物で、取り組み方というか、台本を書くスピードもすごく早かった。今準備してる映画の脚本は2年半掛かったのに、この作品の場合は、プロット50分、脚本を1日半で書いた。しかも『聴かれた女』の場合は、『聴かれた女の見られた夜』っていう話と2バージョンを含めても2日で書いた。盗聴する男の側から撮ったやつと、盗聴される女側から撮ったもの。このスピード感というか、それは、やっていて楽しかった。
四方田: これから皆さんが観るのは、男の側から撮ったもので、壁の向こう側を想像するバージョンですよね。もうひとつは、女の側から?
山本: 女側から撮ったほうは、聴かれていることも知らずに、淡々と生活が進むわけです。相手の正体もわからずに。
四方田: あなたがやることだから、一筋縄ではいかないだろうと思っていたけれど、この話を聞いて納得した。『聴かれた女』は、もうひとつのバージョンの『聴かれた女の見られた夜』から観ても大丈夫なの?
山本: やっぱり『聴かれた女』から観ないと。それと、今回、男が持つ現代の内向性を女が包み込んでいくって方向でやろうと思っていたんだけれど、内向・盗聴・じめじめというパターン思考があるから、そうじゃなくてもう少し明るいキャラクターでもっていこうと考えていた。それでも内向していたから、さらに開放してあげたいなと、そんな気持ちでやりました。
四方田: ところで、映画は、そもそもが覗き見だっていう説がありますよね。映画が発明されて、男と女が何かしているのを隠し撮りしたなんていう映画が商売になっちゃってたわけで。もはや、覗きたいっていう欲望が映画とか写真というものを作り出したんじゃないかと。だから、映画には、覗き見っていう、見るっていうテーマが多い。裏窓もそうですね。
山本: 裏窓は変態映画ですよね。
四方田: 面白いのは、山本政志っていう人が撮ったときに、モノを見ることの透明性がそんなに素直に出るわけがないなと思ったんですよ。映画っていうのは、視覚が一番中心なんだけれども、山本作品は、見ることの障害っていうものに対して、非常にこだわってきたんじゃないかと。そして今回、映画が覗き見じゃなくて、盗聴の方に90度変わったわけです。
山本: 2本合わせてみると、聴く側(『聴かれた女』)は音だけで想像して世界を作ってるんだけど、逆の側(『聴かれた女の見られた夜』)は実際の世界だから、いろいろなものが全部変わってる。例えば、動き方とか、家の装飾も変わってるんで、2つ合わせて観るとかなりおかしいと思いますよ。
四方田: 僕も初めは、男の想像をそのまま鵜呑みに観ていって、あとで、足をすくわれた。この映画には何回も足払いをかけられた。もうひとつのフィルムはいつやるの?
山本: オールナイトで1回だけやるんですけど(2/24に上映された)、それとDVDを出すときに、スイッチを押したら途中で2つの映画が切り替わるようなことができないかと思ってる。
四方田: シーンは対応しているの?
山本: 対応しているところと、『聴かれた女の見られた夜』のオリジナルのところとあるんだけれど。あるシーンは完璧にセリフも全部一緒。
四方田: 同じ時間軸で対応しているの?
山本: そこまではやってないけど。そんなに几帳面じゃなかったですね。
四方田: (笑)今日は、上映前のトークということで、種明かしすれすれのところで、核心は敢えて喋りませんでしたが、ちょうどこのフィルムの中の男の想像が現実と全く違っていたのと同じように、今僕らが話しているのを聴いて、こんな感じだろうと皆さんが想像していらっしゃるフィルムというのがあると思いますが、それとも、ぜんぜん違っていたりするんでしょうね。それでは、『聴かれた女』を楽しんで下さい。


四方田犬彦(映画批評家)
映画、文学、漫画といった様々な領域で批評活動を行い、現在は明治学院大学で映画史を講じている。著書に『日本映画史100年』など著書多数。